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神戸家庭裁判所姫路支部 昭和41年(家)549号 審判 1968年2月29日

申立人 相沢修(仮名)

相手方 渡辺文子(仮名) 外六名

主文

当裁判所が昭和四二年六月一三日なした中間処分としての換価審判中、別紙目録九の物件の換価を命じた部分を取消す。

申立人および相手方全員は、共同して、すでに換価を終つた別紙目録一〇の末尾記載の不動産中付属(二)に表示された木造瓦葺二階建居宅床面積一階二四・七九平方米(七・五坪)二階一九・八三平方米(六坪)につき付属建物新築登記手続をせよ。

相手方全員は、申立人に対し、別紙目録一〇の末尾記載の不動産三筆につき、所有権(持分)移転登記手続をせよ。

被相続人相沢徳治および相沢ちかの遺産である別紙目録一〇の金員のうち五万円を遺産管理者兼換価人弁護士柳田守正に報酬として与える。

被相続人相沢徳治および相沢ちかの遺産を次のとおり分割する。

別紙目録記載三および四の物件を相手方次郎に分割し、その単独所有とする。

別紙目録記載一一の債権全部および同一〇のうち一、六一万二、二五〇円を相手方正子に分割する。

別紙目録記載一〇のうち七〇万四、五八四円を相手方秀治に、七〇万四、五八三円を相手方文子に、七〇万四、五八三円を相手方初子に、それぞれ分割する。

別紙目録記載一、二、五ないし九の物件を、申立人、相手方秋作および相手方春雄に分割し、右三名の共有(その持分は、いずれも三分の一)とする。

申立人、相手方秋作および相手方春雄は、連帯して(内部関係では負担分は各三分の一)相手方秀治に対し、一、三〇万七、三三四円を、相手方文子に対し、一、三〇万七、三三三円を、相手方初子に対し、一、三〇万七、三三三円を、それぞれ支払え。

審判および調停費用は、そのうち鑑定人三浦正之に支給した費用二万八、一〇〇円を八分しその一を申立人のその七を相手方らの、各負担とし、その余は各自の負担とする。

理由

当裁判所は、本件記録にあらわれている諸資料により、以下に記述する各事実を認定し、その他諸般の事情を考慮して、次のとおり判断する。

一、共同相続人と相続分

1、被相続人徳治の昭和三八年九月二六日死亡による相続は、同日開始し、その相続人および相続分は、次のとおりであつた。

徳治の妻 被相続人ちか 三分の一

同 長女 相手方 文子 十二分の一

同 二女 同   初子 同

同 長男 同   次郎 同

同 二男 同   秀治 同

同 三男 申立人 修  同

同 五男 相手方 秋作 同

同 六男 同   春雄 同

同 三女 同   正子 同

2、徳治の遺産分割が行なわれないうちに、相続人ちかが、昭和四一年一月二七日に死亡し、その遺産(徳治の遺産の三分の一の持分および別紙目録一一の定期預金)について相続が同日開始した。

その相続人は、ちかの子である申立人および相手方全員である。

その相続分は、いずれも八分の一である。

3、従つて、徳治の遺産については申立人および相手方全員が相続人であり、その相続分は、一二分の一と、二四分の一(三分の一の八分の一)とを合計した八分の一(二四分の三)ずつ、

ちかの遺産についても八分の一ずつであつて、結局本件遺産相続の相続人は、申立人と相手方全員、相続分はいずれも八分の一ということになる。

尚、本件については、法的効力を有する遺言はない。

二、遺産の確定

被相続人両名の遺産は、別紙目録一ないし一一記載のとおりであつて、その価額は、総計一六、一四万八、〇〇〇円と認定する。

1、兵庫県○○郡○○町○○○○町○○○の○田二六平方米(八歩)は、登記簿上所有権者内務省となつており、鑑定の結果公図に基づくと現在県道(○○○○線)となつていることが認められるので、遺産の範囲に属するものと認めない。

2、相手方文子および同初子については、婚姻の仕度として被相続人から相当の贈与を受けたことが窺われないでもないが、その贈与の価額を明認することができないのみならず、右は被相続人らの資産状態、社会的地位等に照し、その扶養義務の範囲内に属するものと認めるを相当とするから、いずれもこれを生計資本たる特別贈与に計上しない。

3、相手方秀治は、葬式費用、別紙目録一〇の換価した建物の修理、改造費その他について、これを本件遺産分割において考慮せらるべきであると主張しているが、遺産分割制度に清算の要素を含ませていない現行法のもとにおいては、これらは、すべて、相続人間において別個に清算すべき性質のものと解すべきであるから、これらはすべて遺産分割の範囲に属せしめない。

香奠、徳治の労災保険金一三〇万、退職金三〇円、慰労金二〇万円等も、相手方秀治において現在までに消費したため現存しておらないようであるが、上記の理由と同じ理由によつて遺産に属せしめない。

三、遺産分割につき斟酌せられるべき事情

1、相手方次郎は、昭和四年一月四日に被相続人両名の長男として出生したが、生れつきの聾唖者であつて、聾唖学校にも余り通わなかつたため、知能の発育のおくれ、ごく簡単な日常生活のことにつき言葉以外の方法でする以外は、他人と意思の疎通ができない。これは、通事を用いても簡単なことについてすら対話ができない程である。

ただし、農作業に関しては、朝から晩まで毎日あきることなく熱心に労働し、徳治生前からよく徳治を助けて農耕に励み、現在も遺産のうちの農地に関する農業労働のほとんどは、次郎において行なわれている。自活能力はなく、よき妻か後見人と農耕地を得て、農業によつて生活することができなければ、兄弟の扶養を受けなければならない。

現在は、食事、衣類その他次郎の生活の世話は、一切修および修の妻によつてなされ、修に扶養されている。

本件の争いは、秀治および次郎の二名を除く兄弟姉妹全員六名が、遺産のうちの田を次郎に相続させてやつてくれと秀治に申出たのに対し、秀治が、跡取りだから殆んど全部を秀治において相続すると主張して譲らなかつたことから生起したものである。

ただし次郎が田またはその耕作権を全部相続したとしても、その価額を他の相続人に支払うことは事実上不可能である。

現在遺産のうちの田については、秀治が耕作者として地元農業委員会に届け、収穫は一切秀治において取得している。

審判係属中、一度、秀治から次郎の食事の世話をしたいとの申出があり、修がこれに同意したことがあるが、秀治の家庭の事情からか長く続かず、依然として修の扶養の下に生活している。

本件遺産分割についても、前述のとおりの能力の低さから、遺産分割の何たるかを知らず、希望なり考えを話すこともできない。

2、相手方秀治は、昭和五年一二月一一日被相続人両名の間の二男として出生し、昭和二五年に高校を卒業し助教員を二年した後、○○大学四年間に入学し、被相続人徳治から跡取りだから二年で帰れといわれ、二年終了で中学校の教員に就職し、現在○○市立○○中学に自家用車を購入使用して通勤している。月収三万八、〇〇〇円位。妻と、一〇歳と六歳の子供がある。

地元農業委員会には遺産の田の耕作者として届け出で、この遺産からの収穫は全部秀治が取得しているが、他の者には保有米をも提供しない。秀治は、被相続人らに跡継ぎと目されていたようだが、次郎を除く他の兄弟姉妹から、愛情(ことに次郎に対する)がないと考えられている。

徳治生存中結婚した昭和三二年頃から、現在住んでいる離れ(別紙目録一〇記載の付属建物(四))に居住し、徳治たちと食事を共にしていたが食費として同三二年から三三年四月頃までは月一万円宛、三三年四月頃から三八年九月までは月七、〇〇〇円宛徳治に入れていた。

修が次郎の世話をしていて、秀治は、次郎の生活に何ら寄与していない状態であること前述のとおりであるのに、秀治は、次郎を扶養しているものであると主張している。

本件遺産分割について、全遺産を一般の競売にしてその代金から各自がこれまでに支出した費用を差引いて、

残代金を等分に分割することを希望している。

3、申立人修は、昭和九年二月一〇日被相続人両名の三男として出生し、中学卒業後、○○鉄工の前身である○○産業に入社、勤務のかたわら○○高校は通学卒業、○○高等技術研修所産業機械科に一年間通学、父徳治も○○産業に勤めていて、昭和二八年頃から父と二人で同会社内にて自炊生活をしていて、昭和三二年五月に結婚して社宅に住み父は田舎から通勤するようになつた。徳治は同社で事故死した。

徳治が生前に遺産は全部次郎にやつて欲しいと言つていたので、修は、秀治が「全部相続する」と主張するのに対し、「次郎に田二ないし三反、修に田九畝一七歩、春雄と秋作に各田四畝、他は秀治」という案を主張したが、秀治に拒否されたことから、遺産分割の協議が難航するに至つた。秀治と次郎を除く兄弟姉妹は、全部修を支持し、修に社宅から引揚げて、現住所に帰つてくれと懇請したので、ちか死亡後の四一年二月に現住所(父母、次郎、春雄、秋作、正子の住んでいた部分)に帰つた。

修は、相手方文子、同初子、同秋作、同春雄、同正子の代表の形で、次郎の世話を一人で引受けている。

現在○○鉄工の専務取締役で月収約四万円、妻と、九歳と五歳の子供がある。

本件遺産分割については、田の耕作権全部を次郎に分割し、農業所得が次郎に帰属し、その所得で次郎の生活費がまかなえるようにしてやることが被相続人の遺志にもかない、また次郎の将来の生活の安定のため最善の方法と思うが、そうできないならば、各自に一旦法定相続分どおり分割し、その後、別途、次郎の生活については話合つて解決していきたいと望んでいる。

そして、秋作と春雄と自分とは、三名の相続分を共有名義でなされても差支えないと述べている。

4、相手方秋作は、昭和一三年一月一八日に被相続人らの間の五男として出生し、

昭和三〇年頃に○○市立○○高等学校を卒業し、現在○○社員、月収二万円、妻と三歳の子供があり、現住所にアパートを借りて居住している。

本件遺産相続については、修と同意見だが、特に春雄とともに住宅建築敷地として、別紙目録九の物件を自己の相続分の中に加えてほしいと望んでいる。

5、相手方春雄は、昭和一五年三月七日に被相続人らの間の六男として出生し、

昭和三二年頃○○市立○○○高等学校を卒業し、現在○○製鉄社員、月収三万円、独身、修と同居して食事代として月三、〇〇〇円を修に渡している。

本件遺産分割については、修と同意見だが、特に秋作とともに別紙目録九の物件を加えてほしいと望んでいる。

6、相手方正子は、昭和二一年一月二九日に被相続人らの間の三女として出生し、

昭和三九年頃県立○○商業高等学校を卒業し、現在○○信用金庫の事務員、独身、修と同居している。

本件遺産相続については目下婚姻適齢期であり、結婚資金としてその相続分は、金銭で取得できるようにと望んでいる。

7、相手方文子は、大正一四年一一月三日に被相続人らの間の長女として出生し、

昭和二二年七月二八日○○職員の渡辺章と婚姻し一九歳、一七歳、一二歳の子供があり、新築した自宅に住み、その生活程度は中位である。

本件遺産分割については、その相続分を子供たちの将来の教育費にと考えているので金銭で得られることを望んでいる。

8、相手方初子は、昭和二年六月二七日に被相続人らの間の二女として出生し、

昭和二四年九月一五日○○工事業を営む山本裕二と婚姻し、一五歳、一〇歳の子供があり、その生活程度は中位である。

本件遺産分割については、文子と同じ希望である。

四、被相続人らの遺産は、前記のとおりである。

1、遺産管理者兼換価人である弁護士柳田守正に対する報酬は、請求どおり五万円を相当と認め、家事審判規則一〇八条、八九条二項に基づき主文のとおりこれを遺産から差引くと、残りは一六、〇九万八、〇〇〇円となる。

2、これを前記相続人らの相続分に従つて按分すれば、申立人および相手方全員が、それぞれ二、〇一万二、二五〇円ずつという計算になる。

3、よつてこれを基準として、遺産を分配することとなるが、遺産の帰属を決定するについては、諸般の事情から、修の希望のように農地もしくは少くとも農地の耕作権は、次郎に分配するのが相当とは考えられるけれども、次郎に金銭を支払うべき資力はないからこの方法は困難であり、また秀治は全部についての換価分割を希望しているが、遺産はなるべく現物で相続人に帰属させることが相当であるから、当裁判所は、遺産の種類、性質、各相続人の職業その他一切の事情を考慮して、主文記載のとおり、遺産を分割することとし、右分割によりその相続分の価額に満たない部分を現金をもつてあるいは債務負担をさせることによつて平均させることとし、尚、換価した不動産につき、換価人は共同相続人全員の法定代理人たる地位を有し、共同相続人全員を代表して遺産の換価につき直接必要とする一切の事実上および法律上の行為をなしうる権限を有し従つて所有権移転登記手続をすることができると解されるのである(東京家裁身分法研究会の研究ジュリスト第九六号八九頁)が、本件においてはその登記ができず、また、当事者のうち登記手続に協力しない者があり当事者のなすべき登記もできなかつた旨の報告が換価人からあつたので、換価によつてすぐに所有権が移転している別紙目録一〇末尾記載の不動産三筆の移転登記手続(右三筆のうち家屋については附属建物の増築がおそくとも昭和三二年にはなされていたのに現在まで増築部分が未登記であつたので、不動産登記法九三条の八の規定により付属建物新築の登記をなした上)を行うことを主文で命ずることとする。

審判および調停手続費用の負担について家事審判法第一条、非訟事件手続法二六条、二七条、二九条、民訴法九三条を適用して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 木村輝武)

別紙編略

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